鬱病からの贈り物
こんにちは!
僕は大学3年生のとき鬱病になってしまい、留年休学を経て病気を克服し24歳の大学生4年生をやっています。
鬱病は何もいいことがないといったマイナスなイメージがありますが、
僕は鬱を克服することによって、鬱病前より幸せな生活を送ることができています。
鬱病にならないのが一番ですが、過去の自分を見ていると鬱病になってよかったんだと、若いうちに良い経験をしたなと思います。
そこで鬱病から得たものをまとめておきます。
〈目次〉
1. 当たり前のことが当たり前にできる幸せ
鬱病当時は生活も荒れてしまい、普通の生活ができませんでした。
誰とも話したくない。
学校には行けない。
歯磨きやシャワーや家事などもできない。
本当に今まで出来ていたことが全く出来なくなったしまいました。
鬱病を克服して、自分の身の回りのことが自分でできる幸せや普通に大学に行って友達と「テストきついね...」なんて話せることが本当に幸せなんだと思えるようになりました。
あたりまえのことの中にたくさんの幸せが詰まっているなと感じれるようになって、以前より自分は幸せ者だと感じれるようになりました。
2. 周りに感謝できるようになる
「辛かった分だけみんなにお返しできるようになるよ」
友人の母がかけてくれたこの言葉が身に染みてわかるようになりました。
病気の時は母に暴言を吐き、何度泣かせたか覚えていません。
小さいころから面倒を見てくれた祖母にもかけてはいけない言葉を沢山言ってしまいました。
癌によって亡くなった祖父は、病院での最期の時まで僕のことを心配してくれてたようです。
心配してくれた友達にも逆上したり、連絡を返さなかったり...
本当に家族や友人にたくさんの迷惑と心配をかけてきました。
病気を克服した今、本当に当時は申し訳ないという気持ちと共にありがとうと心のそこから思えます。
亡くなった祖父にはありがとうと言えないのが残念ですが、周りの人にたくさんありがとうという言葉を伝えていけたらと思います。
3. 鬱病になる人の辛さに少し共感できる
高校生の時「自殺は悪いことじゃない。死にたい」と何度も口にし高校を中退した友人がいました。その時の僕は、なだめるだけで鬱病の彼の辛さは全く共感できませんでした。
それは当然のことで、骨折したことがないと骨折の辛さは分からないのと同じだと思います。
僕は鬱病になった時、そんな彼の気持ちを少しだけわかることができた気がしました。
精神の病なので人それぞれバックボーンが異なるし、それぞれの悲しさや辛さがある為完全に他の人の辛さを理解することはできません。
しかし経験した人にしか理解できない、あの死ぬよりきついとも言える苦痛に少しだけ寄り添うことができるようになったと感じました。
僕は友人周りに鬱病のことをオープンにしていますが、その結果「辛いから話聞いてほしい」と以前より相談を多く受けるようになりました。
鬱病になってしまった人はそのような人の辛さや悲しみに少しだけ共感でき寄り添うことができるようになると思いました。
4. 最後に
僕は鬱病になってから本当に人間が変わったと思います。
昔は自分よがりな部分が多く、親や友人に感謝することをあまりしてきませんでした。
鬱病を克服した今では自分の周りの人にできるだけ「ありがとう」を言葉で伝えようと思い実践しています。
そして鬱病により失ったことも多いのも事実ですが、得たもはもっと多いと感じています。
(こう考えれるようになったから克服したと思っています)
具体的には、
上記の1~3以外に
大好きなトレーニングなどの趣味と出会えたこと
趣味友達が沢山できたこと
鬱にならなければ入っていなかっただろうサークルの友達と出会えたこと
などなど
主に人との繋がりで鬱病になったからこそ出会えた人たちが沢山います。
人生に意味のないことは起こらないと言いますが、起こった事象に良い悪いといった意味をつけるのは自分自身だと考えて居ます。
これからも「鬱になったからこそ今がある!」と笑顔で言えるよう前向きに取り組んでいけたらいいなと思いますし、24歳とまだ若い段階でこう考えられるようになって良かったと感じています。
ちなみに2-3年前まではもう二度と笑えないと思っていた僕が、こんな文章をかけていることにびっくりしていますし幸せに感じています。
僕の好きな漫画から心に残った言葉を書いて終わりにしたいと思います。
「失ったものばかり数えるな!ないものはない!確認せい!お前にまだ残っておるものはなんじゃ!?」by ONE PIECE ジンベエ
「闇を見ることができるなら光を見ることもできるはずさ 呼び名が違うだけのことだからな」by プラネテス ハチマキの心の中の猫