なぜ自分が鬱病に1...-鬱病の原因と経緯について-
こんにちは。
数年前に自分が鬱病を発症し、自殺未遂をしてしまったことについて〈なぜ自分が鬱病に...〉という記事でまとめていきたいと考えて居ます。
(現在はうつ病と向きあい毎日楽しく生活しているので問題はなーし!)
鬱病になった原因...それはずばり
自分を支える柱がなくなり、自己評価が壊滅した
なぜそのような原因が生じたのか、鬱病になるまで経緯を幼少期からまとめていきます。自分語りがメインになってしまいますが自己分析も兼ねていますのでご了承ください。
小学生時代
1-2年生の時から、いじめを見逃せずいじめられている人をかばっては自分がいじめられるという経験をしてきたものの友人もおり楽しく学校生活を送ることができていました。
転落への道は3年生から始めた少年サッカーから...
僕はサッカーをやってみたくて始めましたが、やってみるとセンスがないことがわかりました。後からクラブに入ってくる友人は試合に出てるのに永久ベンチウォーマー要因...挙句の果てには同級生にも馬鹿にされ監督には「お前はいらない」と直接言われました(指導者としてどうかとおもいますw)
親も「どうせ試合出れないんでしょ?」と試合を見に来てくれることはなくなりました。
それが悔しくて人一倍練習しましたが、両親や監督の態度は変わることはありませんでした。
そのことが悔しくて5年生でサッカーを辞めました。
この時、自分の中に
親に認められない 挑戦することが怖い(失敗すると怒られる)
というマインドができたように思います。
その後ある友人が僕を綱引きクラブとボーイスカウトに誘ってくれました。
最初は「せっかく誘ってくれたし...」とシブシブでした...(;^_^A
綱引きクラブは友人にも恵まれましたし、自分もかなり活躍できたと自負しています。
全国大会にもいきましたし( ´艸`)
ボーイスカウトも友人や指導者に恵まれ楽しく有意義な時間を過ごすことができ20歳まで続けました。
しかし挑戦することが怖いという点は改善できなかったと思います。
中学時代
僕は中学に進学しすぐ問題にぶつかりました。部活動に入らなければならなかったのですが...綱引き部がありませんでした...「えっ...できるものがないじゃん」とかなり焦りました。しかし部活はほぼ強制...
悩みぬいたうえで入部したのはまさかの...サッカー部でした。
入部理由は...サッカーをやったことのない人よりはできるから です。
新しいことに挑戦することが怖く、経験のない他の部活に入ることができませんでした。
そんなわけでまたもサッカー人生が始まりました。案の定へたくそでしたが、親や友人を見返してやろうと必死で練習し、レギュラーをもぎ取ることができました!
これには親も喜んでくれてうれしかったです。
しかし...その3か月後に膝を怪我してしまいサッカーができなくなってしまいました...
怪我が痛み、試合にでることはおろか練習をすることも難しくなってしまいました。
そうなるとまた嫌がらせが再発...後輩にまでいじめられました。
スポーツが好きな両親としては、試合に出ることがなくなった僕を良く思うわけがありません。試合で遠出する時の配車当番にも文句を言うようになりました。
そんな中、弟はテニスで県大会入賞などで活躍していました。弟の試合があれば、その日の夕食の時間は弟のことばかりで僕は面白くありませんでした。
どうにか親に認められたい!そう思い勉強を頑張りました。良い成績をとると褒められうれしかったのを覚えています。
ボーイスカウトは楽しく継続しており中学生で最高賞である菊スカウト章を獲得しました。
中学で自分を支えていたものは、
友人 勉強 ボーイスカウト
でした。
高専時代
地元の高専に進学し、2年生までは楽しく過ごしていました。いじめというものがなくなり、放課後も友人や先輩と遊ぶことが多く充実していました。
そんな中、ある事件(1)が起きました。
詳しくは述べませんがクラスでおきたイザコザの犯人が僕という噂が立ってしましました。
もちろん僕は身に覚えはありません...なんの事かもわからないまま、噂は拡散し高専の女子学生全体に避けられたり嫌がらせを受けました。
ここで僕は女性恐怖症を患ってしまいました。
そしてたて続きに事件が連発します。
・不運にも道端を散歩しているときに、車が突っ込んできて1か月入院...それによって行きたかった企業のインターンシップをキャンセル。
・親友に裏切られる。
・ボーイスカウトを始めたばかりのころから熱心に指導をしてくださった方のボーイスカウトを裏切る行為。
こころから信頼していた人に裏切られ僕は人間不信になり、さらには自分は不幸だというマイナス思考が身についてしました。
こんな中、勉強は頑張り続け大学編入試験に合格することができました。
ここで自分を支えていた柱は
友人 勉強 ボーイスカウト
となりました。
大学入学
第一志望の大学に編入し浮かれていた僕ですが、入学早々人生最大の試練にぶつかります...それは単位認定です。
母校のシラバスと大学のシラバスが大きく違い、単位認定試験をやるにしても学習してないことが大変多く躓きました。
先生に母校のシラバスを見せに行くと「君、本当に高専卒業したの?」と言われるばかり...
同期にも後れを取りました。他人と比べて自分は劣っていると考えずにはいられませんでした。
その結果、自分を支えてきた唯一の柱 勉強 もなくなってしまい自己評価はどん底まで落ちました。
「自分は不幸だし、頑張ってきたことでは認められない 自分より有能な人間ばかりだから自分はいなくなっても誰も悲しまない」
と感じ、ついに自殺未遂。
ここまでを整理すると鬱病になった要因は
自分が認めてほしい分野で報われず、自己評価を支える柱がなくなったこと
が大きく締めていると感じました。
自分が認めてほしい分野で報われない=現実と理想のギャップ
ともいえるのかもしれません。
この経験を通して鬱病は誰でもなりうるものだと考えるようになりました。
現在ではメンタルの病気を無視はできないという風潮が見られますが、まだ認知不足だと思っています。
次もなぜ自分が鬱病に...というタイトルで何か書いてきたいと思っています。